2017-12-31

黎明(2016/05/09)


イエスはトマスに言われた。「あなたの指をわたしの手に当てて、あなたの手をわたしのわき腹に入れなさい。信じない者でなく、信じる者になりなさい」トマスは答えて「わたしの主、わたしの神よ」と言った。イエスはトマスに言われた。「私を見たから信じたのか。見ないのに信じる人は幸いである」 (ヨハネの福音書 20:27-29)

 私がキリスト教を意識したタイミングを話すと長くなるのですが、恐らく今までで大きな意識なら四回ありました。細かいことをいれると七回ぐらいなのかな? 意識しては忘れての繰り返しでした。今回は二回目の十代の頃の話です。 昔は絵を描いていて、デッサンとかは訓練みたいなものなのですが、自由創作となるとテーマを自分で考えたりします。まだ十代と言っても高校生になる頃になると大人と同じ賞に応募したりしました。

そして頭打ちしたのはテーマと描写力がついていけないということでした。想像力が自分の力量に合わせるしかなくなるのでイメージに妥協が生まれます。それなのに、人間の脳というのはおかしなもので、その妥協が妥協に感じなくなっていきます。絵 に関しては完成と感じたことが無かったのではないのでしょうか。賞を取れたら嬉しいのですけど、思い入れがある作品が無くて毎回戻ってきたものは捨てていました。そういうものがあると、そういう自分に愛着を持ってしまって成長出来ない気がしていました。

よく他の人に「何を考えて描いてるの?」と言われていたのですが、 実際には今と比べるとこの頃は確かなことなんて考えていませんでした。誰かに説明出来ないことや自分でも分からないものを抱いていたもので、対話相手がキャンバスです。「言葉にならないことを書く」ということ、それを才能と捉えるか未熟と捉えるのか、私は後者でした。
そんな私が何か勉強がてらに模写をしようと選んだのが古典作品達で、デッサンの練習のために選びました。画材は木炭と鉛筆で、カラーではなくてモノクロでやりました。モノクロにすると色で目移りしていた情報や錯覚が整理されるので私は好んで練習していました。模写をした中で印象に残ったのはカラヴァッジョの「聖トマスの懐疑」です。よく知らないまま形だけを捉えて描いていたのですが、描いてて楽しかったのはトマス のこの疑っている目でした。

現象学と巣









去年に出版したイコノグラフは私の想像と経験の結晶ですが、蓄積となった書籍はこんな感じ。現象学は、主にフッサール。ハイデガーは遅れてのスタートだった。日本語だと難解な言葉が多いことから、ドイツ語版、英訳版のみで連想を重視した。日本語版ではあまり持っていないものが多く、作品に登場したウンディーネとサロメもそうだったりする。フランス語版、日本語版と両方手に入れたのはシモーヌヴェイユぐらいかもしれない。

ベルクソンは日本語ですね。他の書籍は
Kindleに入っているので紹介は全ては
難しい。


一体、何の書籍を紹介すれば自分の作品がより分かるのだろうと、探していたら
今年の8月に、丁度良い本が出ていたので
購入した。
今作は、キリスト教要素を散りばめながら、私の思考の糧となったのは「現象学」だった。
あまり言い過ぎると、読者を混乱させるかもしれないのであまり言えないところだけど、
この一冊は今作の哲学要素を深く知りたい方にはおススメかもしれない。

「現代現象学」
経験から始める哲学入門
富山 豊・ 森 功次 著。
新曜社

ただ、わたくし
やはり小説家なので、詩情を優先に、
「鳥の巣」に魅入ったということしか
言えないものですね。


現代現象学―経験から始める哲学入門 (ワードマップ)https://www.amazon.co.jp/…/4788515326/ref=cm_sw_r_cp_api_SV…


カイエ














シモーヌ・ヴェイユの「カイエ」は二巻と四巻を持っている。中古のみの販売で、一巻と三巻は数万円まで高値がついてしまって買えない。安くても一万円は超えている。

フランス語か英語で探しても、新品でも一冊五千円はいくので、送料も考えるとなかなか手を出せないが、近いうちにフランス語は買おうかと思う。



 カイエとは、フランス語でノートという意味で、特別な意味は無い。ヴェイユが書籍になる予定なんて無い状態で書いたノートで、有名な「重力と恩寵」は、ギュスターヴ・ディポンの手によってカイエから纏められてある。

とりあえず欲しかったのはキリスト教考察で、丁度それが二巻と四巻だった。労働が一巻で、哲学と神秘神話が三巻のようで、

日本という国に感謝なのか、 キリスト教の濃い部分が安く買えたし、古いけど新品同様に読み込まれたような跡が無くて綺麗だった。

(元々一冊、六千円の本を三千円)

カイエにはカイエの良さがあって、重力と恩寵も纏められているから良い部分もあるかな。ノーカット版の映画と、編集後の映画を
見るような感じ。

2017-12-24

Nativity of Jesus






イエスは、ヘロデ王の時代にユダヤのベツレヘムでお生まれになった。そのとき、占星術の学者達が東の方からエルサレムに来て言った。

「ユダヤ人の王としてお生まれになった方は、どこにおられますか。 わたしたちは東方でその方の星を見たので、拝みに来たのです」

マタイの福音書 2章1節〜2節

彼らが王の言葉を聞いて出かけると、東方で見た星が先立って進み、ついに幼子のいる場所の上に止まった。学者達はその星を見て喜びにあふれた。

家に入ってみると、幼子は母マリアと共におられた。彼らはひれ伏して幼子を拝み、宝の箱を開けて、黄金、乳香、没薬を送り物として捧げた。

マタイの福音書 2章9節〜11節
みなさま 素敵なクリスマスを。

2017-12-19

Étant disciples de Jésus, les vrais chrétiens comprennent la nécessité d’être humbles.









「鳥は 道具を持たない 労働者である」
By. Jules Michelet (ジュール・ミシュレ)

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漸く、鳥の仮剥製を手に入れた。遠いフランスからやってきたクロサバキヒタキ(Oenanthe leucura) ツグミの一種で生息地は主にアフリカとスペイン。1930~40年製。

仮剥製は観賞用とは違って、学術用や研究用に作られた剥製なので、目などには生気を装うような細工はなく、死を残し、死を纏っている。

生きている姿を知っていると、それは悲しいことですが、仮剥製から出会うということは、死から始まっているので期待でしかない。 特に大事な人の死を数人経験し、愛犬が死んだ後は、この寂しくない死に惹かれずにはいられなかった。だからいつかは手に入れたいと思っていたので、漸く念願が叶う。



2017-12-11

心の中を流れる河





「しかし兄さんはそうはお考えにならない。それは兄さんが気が弱くて、臆病だからです。自分が臆病だから、ペテロまでも臆病者にしてしまうのです。(略)

兄さんのお説教を聴いて魂をゆすぶられたなら、わたしは悦んで洗礼を受けましょう。信じられたら、こんな『為合せ』(しあわせ)なことはないと、もちろんわたしだって考えています」

福永武彦 「心の中を流れる河」

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  これは小品なので簡単に紹介するほうが良いと思う。

 門間良作は牧師であり、ペテロと自分を重ね、共感を寄せては、自分はペテロ以下だとペテロに拘る牧師だった。その理由は、戦時中に憲兵から教会を閉鎖しろと言われ、彼は教会を閉鎖することを選んだことにある。それでも信者達が閉鎖された教会に集まってきてしまったのだ。その度に憲兵に連れていかれるのは牧師である門間良作だった。
やがて、彼は牧師としては戻ることが出来ず終戦まで工場で働かされることとなる。そのときの弱さや、信者を残してしまったこと、その後悔を礼拝の場でペテロの話を準えながら語る。このシーンだけでも文学として読む価値がある。




2017-12-06

I hope you don’t mind






『“I hope you don’t mind”ということ』


日本では馴染みのある
エルトンジョンの you’re song の
I hope you don’t mind. をどう訳するのか、
単純なようで色々と訳し方があります。理由は語感が日本語となるとインパクトが弱くなってしまうことにあります。意味を近づけるというより、英語のこの語感に近づけたいという願望がそうさせている気がします。


どんな歌詞かと簡単に言ってしまうと、
『僕が君のために作った歌だけど、
気にしないでね。(I hope you don’t mind)
とか、重く捉えないでね、(I hope you don’t mind)』


とかそういう意味があります。


最近になって聞いてみると、こういうのは物書き(作家、作詞作曲)の愛し方かなと思います。作品を作るときは愛する人をモデルにしたとしても、作品が愛されなければなりません。愛されるのが前提なのか、結果として愛されるのかは、卵が先か鶏が先かというような話なのですけど、愛する人に何か書くときは、伝えたい、伝わること、愛されること、作品として望まれる全てを忘れたいのですよね。それが物書きにとって愛する人だけに送る特別性なんじゃないかな。


変な話なんですけどね。



BBS










BBSを取り付けてみました。何かありましたら書き込みしてください。
嫌がらせはご遠慮させて頂きます。

http://chriskyogetu36.petit.cc/lemon1/



2017-12-03

朗報







去年、出版しました書籍の書評が届きました。今回の紹介はカトリックのオプス・デイ属人区司祭、酒井俊弘様です。酒井様は、俳句で新聞にも載られたことがある方です。私の作品は今回は「世界は鳥の巣」という詩学を選びましたので、鳥が身近なもので巣を作るためのパーツを集めるかのように、詩情、哲学、宗教と集まっていきます。

酒井様は、仲の良いYシスターの紹介で知り合いましたが、偶然にも以前、ご一緒した映画監督の松本准平さん(まだ、人間。最後の命。パーフェクトレボリューション)
とも知り合いだそうで驚いています。

他の方の書評は既にホームページにも出していますが、また改めて後日紹介したいと思います。

今後ともよろしくお願いします。
掲載は全て酒井神父様より許可を頂いております。

鏡月 玖璃子 


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ICON O GRAPH〔イコノグラフ〕鏡月 玖璃子
 様式や内容によって分類されたものをジャンルという。世の中のすべてのものは、ジャンルによって区分され得るわけだが、ジャンルが先にあるのではなく、個々の方が先に存在する。それゆえ、個々のバラエティーがジャンルにぴったりとマッチするわけではない。例えば、私はカトリックの神父だが、プロフィールを記入する際にはいつも職業欄で悩んでしまう。「カトリック司祭」はもちろん「聖職者」というジャンルが設定されていることはまずないので、「自営業」か「その他」をチェックすることになる。


鏡月玖璃子の小説ICONO O GRAPH〔イコノグラフ〕を既存のジャンルに当てはめるとすれば、西暦2020年前後を舞台にしているという点から「近未来SFファンタジー」となるのだろうか。今年のノーベル文学賞受賞カズオ・イシグロを想起させるような、次から次へと場面が入れ替わっていく中に人々の心情が展開されていくスタイルからは「印象派近代文学」とも呼べるだろうし、作品全体に散りばめられているキリスト教的要素からは「キリスト教新文学」と呼べるかもしれない。言い換えれば、既存のジャンルには収まり切らないユニークな文学作品だということである。
 倉島真希の死から始まり、同級生の主人公、川村光音(コウネ)を中心に、羽根洸希(コウキ)、教師の筒井舞衣を軸に、天文時計をシンボルに持つ学校を舞台に物語は進んでいく。登場人物たちの心のひだを繊細な文章で綴りながら、単なる時計ではない天文時計や、フギン(思考)とムニン(記憶)と名付けられた二羽の機械仕掛けのワタリガラスなど、不思議な品々が物語の色彩を深めていく。
全体を貫くテーマは、男女の愛だとも言えるし、一人ひとりの救いだとも言えるだろうが、文学的な評価はその道の専門家に委ねるとして、神父という立場から評するとすれば、著者があらすじで引用する聖書の一節がキーになる。

 「マタイの福音書13章、神の御言葉である種が育つための土地の条件の問いかけ、植物の『生長』への詩情、その生長を摘み取り、物語世界は鳥のように巣を作っていく。」(巻末の「あらすじ」より)
マタイの13章1節から始まる「種まきのたとえ」では、道端や石地や茨の中に落ちた種が実らなかったのに対して、良い土地に落ちた種は成長し、30倍、60倍、100倍となる。イエス・キリスト自身が、その種とは「御国の言葉」であると説明している。


 ICONO O GRAPH〔イコノグラフ〕における「種」は何なのだろうか。死んでいった真希の残したものか、川村光音と羽根洸希と筒井舞衣との間を通い合う心なのか、あるいは天文時計やワタリガラスが暗示するものなのか。それを見つけて、自分の心の中で実るまで育てていくことこそが、読者に求められているのかもしれない。


キリスト教文学と呼ばれるジャンルの著者たち、たとえば三浦綾子や曽野綾子、遠藤周作や加賀乙彦といった作家が描く作品の中のキリストは、彼らが捉えるそれぞれのキリストの顔が見え隠れする。鏡月玖璃子の描くキリスト像、あるいはキリスト教の姿はどんなものであろうかと言うと、このICONO O GRAPH〔イコノグラフ〕では、まだまだそれは明晰でない。言わば、いまだ顔のないキリストである。まとまった作品としての処女作であるICONO O GRAPH〔イコノグラフ〕には、著者が表現したい多くのものがあふれているが、それゆえに、言わば万華鏡のような作品となった感は否めない。けれどもそれこそが、これから著者が紡いでいく作品において、その奥深く豊かな内面世界がさらに研ぎ澄まされて読者の前に展開されることを期待させてくれる所以である。


2017年11月26日
 酒井俊弘


●あと、何か印象に残った箇所はありますかという問いについての
 酒井神父様からの返信の一部です。

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作品の中で一番心に残った箇所…難しい質問です(笑)。書評にも書きました通り、万華鏡のような作品ですから、そのかけらを一つというのは、難しいです。あえて一か所なら、84ページの最後の3行、ことに最後の一文です。
『そうなるとこの部屋は帰る必要がない抜け殻のようになった。』
私は少し俳句をたしなみますので、簡潔平明な言葉遣いを通してどれだけ詩情が伝えられるか、に興味があります。羽根の作った靴だけをもって飛び出した舞衣の覚悟と真実さ、たくさんのものが残された部屋の空虚感が、この短い表現で表されていると感じました。また、聖書の中のエリコの盲人の振舞い、「盲人は上着を脱ぎ捨て、躍り上がってイエスのところに来た(マルコ10,50)」という場面も思い出したこともあります。

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 酒井俊弘 オプス・デイ属人区司祭
(書籍案内)内容はどちらとも変わりません。
窗体顶端


2017-11-11

Vincent Willem van Gogh2



庭のマルグリット・ガシェ(1890年頃)

悲しみの女(1882年)






残念ながら、私が行ったゴッホ展ではマルグリット・ガシェはなかった。彼が晩年に恋をしたと言われるマルグリットは、担当医だったポール・ガシェの娘である。この二人は今度の映画(ゴッホ・最期の手紙)で登場するので、楽しみですね。マルグリット役は、シアーシャ・ローナンなので更に楽しみなところです。


私が見れたのは、この娼婦の素描ですね。1882年、ゴッホ29歳の頃のものでゴッホはこの身寄りがない妊婦の面倒を見て関係を持つ。ゴッホはデッサン力が無いように思われますが、素描を見るとそこまで無いわけではありません。パブロ・ピカソの少年時代の素描を天才とするのなら、ゴッホの素描の評価は分かれるところですけれど、昔関係を持った女性の素描は、晩年に描いたマルグリットよりも意識が鮮明だったように思える。マルグリットに関してはピアノを弾いている姿と、この絵画しか知りませんが、特にこの絵画のときにゴッホの女性への愛し方が変化したように思えます。見ているのは女性の身体ではなく、別の視点というのか、プラトニックなものを感じさせます。「庭のマルグリット・ガシェ」は目立つところがないとか、下手と言ってしまえばそれまでなのですが、より印象に近づいたとも言えますし、愛の変化なのか、病の進行によるものなのか、色々想像力を掻き立てますね。いつか本物を見てみたいです。


マルグリットとの関係は実際どうだったのかは分かりませんが、ゴッホは愛していたようです。けれども、マルグリットの父、ポール・ガシェはゴッホに親切でしたが、その愛に関しては受け入れませんでした。彼女と結ばれる見込みが無かったことはゴッホの自殺の原因の一つと言われています。

2017-10-26

Vincent Willem van Gogh




星月夜De sterrennacht(1889年)



「この絵は闇が蠢いている」

本物を見たときの、これが私の最初の感想だった。



2017-10-10

Mindhunter









 私のお友達Jack Erdieが出演しているマインドハンター(Mindhunter)が日本でも
Netflixで10月13日から配信開始します。是非チェックしてください!

A friend of mine is in this TV show. I hope you'll watch it!!




2017-09-14

パーフェクト・レボリューション(9月29日公開)








(はじめに)

 この映画のスポンサーでもあり、映像プロデューサーでもあるAさんの紹介からマスコミ試写会(9/6)に招待してもらいました。この映画の監督でもある松本准平さんとも友達になれまして、とても充実した時間が過ごせました。





2017-09-13

「少年は残酷な弓を射る」







We Need to Talk About Kevin(2011)

「愛情」というものは他者を喜ばせたいと思うことでもある。子どもにとっては、その対象は初めは親だとよく言われる。愛情とは親から与えられるものだけではなく、子も親に対して芽生えてくるものなのかもしれない。親子にとって愛情の印は、お互いの期待でもある。

母親が喜ぶと嬉しい、母親が悲しむと悲しい。
子どもは自然にそれが身について当然のようなことのように思えるが、この少年は母親のことを"mammy"と呼ぶことを拒んだ。



2017-09-04

Dekalog








「デカローグ」

第8話「ある過去に関する物語」


「本当にその若い夫婦が敬虔なカトリック信者なら、何故、十戒の“偽証してはならない”を重視したのかが不可解です」(訳は私)

私が、脇役のこの学生の台詞の意味が分かるのは、キリスト教徒になった後だった。



2017-08-17

私人







「私人」
「もしも芸術が何かを教えてくれるとすればそれはまさに、人間存在の私的性格でしょう。(略)人間を社会的動物から個人へと変身させるのです」
「多くのものは他人と分かち合うことができます。しかし、詩を他人と分かち合うことはできません。芸術全般、特に文学、そしてとりわけ詩は人間に一対一で話しかけ、仲介者ぬきで人間と直接の関係を結びます」
(私人ーーヨシフ・ブロツキー)
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最近、良いなと思った数行の文がロシア関連だったりする。この前のシャネル5番の調香師の話もたった数行で面白いと思ったら、ロシアだった。(調香師の話はfacebookのみ投稿)


諸行無常




画像元:Wikipedia


「諸行無常」
金閣寺放火事件(1950年)
三島由紀夫「金閣寺」と水上勉の「五番町夕霧楼」がこれをモチーフとして小説となっている。
犯人、林承賢と接触があったのは水上のほうらしいが有名なのは三島のほうである。
●自身の障がいと生い立ちに対して光輝く金閣寺に怒りを感じて燃やしたというのが三島。
●仏教(臨済宗相国寺派)として堕落した鹿苑寺(金閣寺)に相反して輝く金閣寺に怒りを感じて燃やしたというのが水上。
事実は両方だったりする。 障がいが故に、鹿苑寺では苛められ、ヒエラルキー構造から出世が見込めないことに絶望して燃やしたという。
今まであんまり金閣寺炎上っていうのに興味を持ったことがなかったけれども、確かにこの時代とタイミングで金閣寺を燃やすというのは、まさしく
「事実は小説よりも奇なり」であり、小説オリジナルだったら凄いなと思った。恐らく現代で同じ障がいがある人が似たような怒りで燃やしても話としてはもう面白くもないのかもしれないし、現代人を使って炎で怒りを表現というのも、単なる迷惑行為であり稚拙になりやすい。


吃音症の人が声をあげたように思われる金閣寺炎上は、現代人の私にとっては「祇園精舎の鐘の声、諸行無常の響きなり」を意図的ではなくても表したように思えてしまう。
この時代とは違って、飢えも知らず裕福だからなのか、それとも別の貧しさを知っているからか。
祇園精舎とはインドにある寺院のことで、その鐘の音なんてものは日本には聞こえないが、この炎上は教えに沿ったように声となり、諸行無常となって響いている。

(私は平家物語とか、三島あたりは不案内ですけれどもね。犯罪を肯定しているわけじゃありません)

2017-08-12

info




 最近、ブログやInstagramをマメに更新するようになりました。ブログの更新頻度は、マメとは言っても、やや低めではありますがこれからも宜しくお願いします。

Instagramは更新したジャンルによって、投稿するごとにお勧めユーザーの表示が変わって面白いですね。おしゃれ関係のを投稿したら、モデルさんみたいな綺麗な人とかお洒落な人のアカウントが見れて面白かったです。これも流行っている理由の一つなのかなと。





鏡月 玖璃子













memo 08/12









聞いた話ですが、
"ある日、近所の男性が突然やってきて、一冊の外国人作家の本を紹介した。その後に近所の男は自殺をし、自分はその残された本の翻訳家になった"というエピソードがあって、興味がありながらも放置してしまったので誰だったのか思い出せない。確かバタイユの翻訳者だったと思うし、情報元に聞き直したら、「バタイユの翻訳者だったかな? あとがきに書いてあった気がしたけど」なんて言うのね。
やっぱりバタイユの翻訳者なのかな。もしくはバタイユの本の解説でも書いた人か。
お互いウロ覚え状態で、もう一度その本を探すことになった。
とりあえず探してみます。 
誰かご存知の方はお知らせください。



と、2017年1月にfacebookに投稿し、最近になってこれが誰なのかを見つけた。

やはり、バタイユの翻訳者・研究者の「酒井 健」さんですね。
詳細が分かったので簡単に説明しますと、突然現れた近所の人ではなくて酒井さんの友人のようですね。家に遊びにくるほどの仲で、ハイデガーに精通していたようですが、変わり者で中古のピアノを自分で調律しなおして気分の赴くまま奇妙な音階の楽器を奏でていたそうですね。
それで、ある夜にこの友人が酒井さんに「君にぴったりだ」と、
バタイユの「内的体験」を持ってきたそうですね。
その友人は酒井さんにバタイユを紹介してから一年あまりでこの世を去ります。死因は自殺なのかもしれない・・・・・・確定ではない、そんな感じですね。酒井さんは、それからバタイユ受容への道を行くわけです。(一旦はバタイユの混乱から遠ざかろうとしたけど、段々「感性的体験」によって近づいていく)
中古のピアノを自分で調律しなおして、おそらく音も整ってない状態で、
「気分の赴くまま」というところは数学者の「岡潔」みたいで面白いですね。
実は以前の投稿よりもバタイユは色々知りましてね、語れるほどでもないのですけど、シュルレアリスム自体は十代の頃に思い出があります。
またいつか、その話でもしようかな。


(ちくま新書・バタイユ入門 酒井 健)

(この記事はfacebookに投稿したものを纏めています)

2017-07-21

La porte étroite (狭き門)








「貴方は思い違いをしているのよ、わたしね、そんなに幸福になる必要がないの。今のままの二人で、充分な幸福でしょう?」

La Porte étroite:André Paul Guillaume Gide


●粗筋

  ジェロームは12にも満たない幼い頃に父親を失い、叔父のもとで過ごす。その家に住んでいる従弟のアリサはジェロームよりも二つ年上で、妹のジュリエットは一つ下だった。アリサの母親はたいそうな美人で、この二人の姉妹は母親のようにそれぞれ魅力があったがジェロームはアリサの麗しさに惹かれていた。父親が死んだ二年後にジェロームはアリサに会いに不意に会いたいと思ったので、アリサの母親の部屋を通る。その扉は開いたままだったが、アリサの母が軍服を着た見知らぬ若者に媚態を示しているところを見てしまう。ジェロームがアリサの部屋に入ると、アリサはそのことを知っていて泣いていた。やがてアリサの母は家出する。



2017-07-01

vision

(vision)
The wing veins are for the butterfly, its organ, nerves and also its bones. 
When drawing a butterfly, its wing veins must be drawn with precision, otherwise,
 it will only represent a butterfly unable to fly. 
Belief and philosophy are for me like wing veins. 
Creation is for me all about soaring.


Soaring is freedom predetermined by wing veins. 
There cannot be any other freedom.

*******  
蝶にとって翅脈とは器官や神経であり、骨である。蝶を描くとしたら翅脈は、正確に描かなければ飛べない蝶になってしまう。私にとって、信仰や哲学というものは翅脈である。私にとっての創作とは、飛翔によって成り立っている。
飛翔とは翅脈有き自由であって、それ以外の自由は在り得ない。 

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 飛翔と翅脈の組み合わせによって生まれるものと矛盾、この命題は蝶のように飛ぶ場所は決められないということ。私達、文学者はそうなのではないか。 

*7年前から決まっていたvisionを手直ししました。





オオルリアゲハの標本。角度によって青からグリーンにかわります。